稲穂

2019年9月の諏訪地方の山々は極度の雨不足で松茸等のきのこは大不作となった反面、稲の圃場の足場は硬く機械が汚れない程の好条件でしたのでコンバイン作業は捗りました。

秋の田の稲穂を見て詠んだ但馬皇女の穂積皇子への相聞歌(万葉集2-114)

秋の田の 穂向きの寄れる 異寄りに 君に寄りなな 事痛かりとも

があります。以前ラジオから奈良大学の上野教授の解説が流れ、 「風が吹くと稲穂が同じ向きに傾くでしょう。そんなふうに貴方に寄り添いたい、周りに口うるさく言われようとも。」 の解釈でした。

米農家を10年以上続けてきましたが、注意して稲穂の傾きを観察することはなかったのですが、この解説以来、刈り入れ前の圃場の現場に出掛けて良く眺めるようになりました。 それで気が付くことは、稲穂は登熟するとあちらこちらの向きに頭を垂れていることです。一方向ではない。風が吹き台風のような強風の折は特に同じ向きには片寄るのですが、どうも風情を感じられない。今一つピンとこない。

直訳すれば「秋の田の穂向きが寄っている。どんなふうに。異なる方向に。でも君に寄り添いたい、どんなに口うるさく言われようとも。」 と意訳します。

そのため「風が吹くと稲穂は同じ方向に傾くでしょう。」は強引な解釈と思われてなりません。「片寄りに」の訳も違うのでは。異所縁の原文を尊重したい。

私訳「秋の田の稲穂はあちらこちらに傾いています。でも私は貴方に寄り添いたい、どんなに口うるさく言われようとも。」 ずっと恋情が伝わります。

但馬皇女は708年若くして亡くなりますが、若い皇女の立場でこんなにも注意深く圃場の稲穂を観察したのでしょうか。まして稲刈りをされたとは思えません。

この相聞歌は、同じく708年頃、非業の死を遂げている人麻呂が教授されていたのではとさえ思われてなりません。それほどに観察眼が秀逸です。老獪な経験者でないと稲穂の向きには注意を払えないと思います。

相聞歌でも名手の人麻呂ですから。

原文  【 秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母 】

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