須我神社
古事記の現代訳
こうして、須佐之男命は、宮殿をつくるところを、出雲の地に求められた。そこで、須賀というところにいらっしゃって、「ああ、わたしはここに来て、やっと心がすがすがしくなった」とおっしゃった。そこで、いま、そこは須賀というのである。
須佐之男命が初めて須賀のお宮をお作りになったとき、その地から雲が湧き起こってくるのをご覧になって、次のような歌をおつくりになった。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を (古事記)
[多くの雲が立っている。その雲が多くの垣根のように、わたしの家を取り巻いている。その中に、わたしは妻を取り籠める。ああ、雲が垣根をつくっている。多くの多くの垣根をつくっている]
この詩の故地は現在の島根県雲南市の須賀の地であり、和歌発祥の地。日本初之宮の謂れの須我神社さまに上記の歌を内蔵する万葉時計を2018年10月に奉献致しました。この和歌を表示する以上最も関連の深い須賀の古社に納めることが適切との思いでした。
「八雲立つ」や「八重垣」から連想される図案を和彫り技法で彫金した無二の作品です。
ローターには注連縄の印象から縄目彫りを取り入れました。
奉納式では勝部宮司、氏子関係者、雲南市関係者、観光協会役員、上代氏の参列を得て盛大な式典が開催されました。次第の中で四名の宮司様による「悪切りの舞」は初見にて見入ってしまいました。舞は巫女さんが行うものとばかり思っていましたが、長老の宮司4名による舞は意義深く荘重で歴史の長さと重みを感じます。
その後の直会まで大変な歓待を受け御礼申し上げます。歴史ある海潮荘に宿泊しました。夜半、湯船に浸かり露天風呂から立ち昇る湯気が張り出したもみじ葉に当たり、ためらいながら上昇する様を見ていると躰ごと闇夜に同化していくようでした。
神社の神体山の八雲山には奥宮が鎮座しています。その昔はここに社があったと伺いました。
その磐座は必見で足を運び参拝したい奥社です。徒歩30分位でした。奥宮から左に曲がる山道を登り八雲山の山頂に立ちますとその眺望は素晴らしい。
たたなづく青垣、中海と宍道湖、島根半島、日本海、隠岐の島の五層の景色に神話のふるさとはここ!神々の誕生に相応しい地域だと思わずにいれません。生命誕生の気配を覚える日本の原風景と思いました。ただこの日は霞が掛かり隠岐の島は見えませんでした。
案内して下さった総代長のお話しでは年数回見られるかどうか、とのことです。
奉納作の閲覧は須我神社社務所にお問い合わせ下さい。
〒699-1205 島根県雲南市大東町須賀260 電話0854-43-2906
熱田神宮
倭建命の辞世歌である、
嬢子の 床の辺に 我が置きし つるぎの太刀 その太刀はや (古事記)
[美夜受比売の寝床のところに置いた、わたしの太刀、ああ、その太刀よ]
つるぎの太刀とは 草薙剣 のことで現在は熱田神宮のご神体とされている。
古事記を通読すると草薙剣は須佐之男命が八俣の大蛇を退治したとき、その尾から取り出された太刀のことで 都牟刈の大刀 のことである。偉大な力をもった大刀の意です。
それ故、この和歌を籠める万葉時計の献納は熱田神宮と即断しました。
外装や表示部ともブルーブラックで仕上げたのは、辞世歌であり無念に満ちているためです。
ですが窓部とローターをピンクにしたのは微かな声とはいえ体温あってのことだからです。
見学については熱田神宮総務部までお問い合わせ下さい。
〒456-8585 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1 電話052-671-4153
諏訪大社
諏訪大社下社に奉納致しました作品は万葉時計の直前作に当たり、万葉歌は挿入されず数字が表示されます。洲羽を詠んだ秀歌があれば部品の交換を申し出るところですが、実現しておりません。ですが処女作として、自身への戒めとして現状維持と考えています。
現在の万葉時計は修正の必要を全く感じない完璧とも言える完成度ですが、期初からこの段階に到達したのではありません。諏訪大社さまへの奉納作の気がかりの部分を徹底して改善し表現の磨きを掛けました。やはり熟成期間が必要でした。とは言え独自な表現の採掘場所は間違いではなかった訳です。でなければこの魅力は創出できなかったでしょうから。
奉納作の見学は諏訪大社下社までお問い合わせ下さい。
〒393-0052 長野県諏訪郡下諏訪町5828 電話0266-27-8035